校舎の南側の花壇で、夏から秋にかけて子供たちがサツマイモを育てました。もともとは花壇、「ちゃんと収穫できるのかな?」大きな期待はせずに見守っていましたが、今年はかなりたくさんの収穫がありました。中には巨大なサツマイモも・・・担任の先生たちも「こんなところでこんなにいっぱいとれるなんて!」と、私と同じようにビックリしていました。
甘みが増すようにとしばらく保管していたサツマイモを昨日みんなできれいに洗って、細かく切って下準備をしました。今日はいよいよ大学いも作りです。
どんな様子かな・・・と参観にいくと、家庭科室いっぱいにいい匂いが漂っていました。最後の工程だったようで、お皿に分けているグループもありました。
みんなに配って、「いただきます」のあいさつをするとすぐに「あま~い!」「おいしいーっ!」そんな声があちこちから聞こえてきました。
写真を撮っていると、気を遣ってくれる子供たちが何人かいて、担任の先生に頼んで私の分をお皿にのせて持ってきてくれました。何もしてないのに、お裾分けをいただいて、おいしくいただきました。
「サツマイモは苦手」「いらない・・・」と言っていた子も何人かいました。先生やお友だちに勧められて一口食べてみると、そのおいしさに驚いた様子でした。
作物を自分たちで育てて収穫し、自分たちで調理していただく。楽しいだけでなく心に残る学びになったと思います。
本校の学校薬剤師、小嶋 剛 様が令和5年度学校保健功労者表彰を受賞しました。多年にわたる学校保健推進に関わる功労が顕著であると認められての表彰です。小嶋先生には、毎年薬学講座の講師をお願いしています。薬の正しい使い方や薬物乱用の危険性などについて、専門家の立場からわかりやすく教えていただいています。我々職員にとっては、子供たちが服用しているお薬について分からないことがあれば、教えていただいたり相談させていただいたりできる心強い存在です。
昨日、校長と教頭、養護教諭で小嶋先生の薬局を訪れ、日頃の感謝をお伝えしながら、静岡県学校保健会からの表彰状と記念品を贈呈させていただきました。
2時間目は、体育館でスライドを見せながらお話をしてくださいました。十種競技について、オリンピックについて、右代選手の子供の頃の様子について、いろいろなお話をうかがうことができました。
オリンピック選手でしか味わえない選手村での生活についての話に子供たちは最も盛り上がっていました。24時間食事はいつでもOK。世界各地の食べ物がすべて無料で味わえると聞き、子供たちは興奮していました。「マクドナルドもあって、ビッグマック10個って頼めば、10個ただでもらえる。」という話に「いいなぁ」という声があちこちから聞こえてきました。それならオリンピック選手を目指そうと思った子がいたかもしれません。
右代選手は、リオデジャネイロオリンピックの2か月前の練習中、棒高跳びの練習でポールが折れて左手親指の付け根を骨折し、左膝にもポールがささり6針を縫う大けがをしてしまったそうです。お医者さんの診断は全治3か月、心も折れ、すでに出場が決まっていたオリンピックへの参加もあきらめかけていた時、右代さんにこんな言葉をかけてくれた人がいたそうです。「あなたは、やれることがまだあるかもしれないのに、あきらめるんですか。やれることを一緒に探して、やれることをやりましょう。」周囲のサポートもあって、右代選手は1か月で驚異的な回復を遂げ、リオ・オリンピックに出場し、開会式では日本選手団の旗手を務めました。
様々な困難を乗り越え、子供の頃からの夢であったオリンピックでも活躍した右代選手は、子供たちに夢をもってがんばってほしいと願って全国の学校をまわっておられます。
「自分の夢を発表できる人?」右代選手の呼び掛けに何人かの子供たちが手を挙げ、代表で6人の子供たちがみんなの前で自分の夢を発表しました。「図書館司書になりたい」「まだ具体的ではないけれど自分の得意なことを生かせる仕事に就きたい」「剣道のユーチューバーと先生になりたい」「ロボットのデザインをしたい」「字にかかわる仕事をしたい」「ダンスの先生になりたい」右代選手は、一人一人に「それってどういうこと?」「どうしてそう思ったの?」「そのためにはどんなことが必要だと思う?」などの質問をしながら子供たちの思いを探っていきます。前に出ている子供たちの話を聞きながら、自然と応援したい気持ちがわいてきました。さらに自分も負けないようにがんばりたい、そんな気持ちになりました。
夢をかなえるために、右代選手から大切なことを3つ教えていただきました。
・たくさん失敗し、悔しい思いをする
・苦手なことにも挑戦する
・感謝の気持ちをもつ
「失敗は成長のチャンスだ!」私もそう思います。右代選手は試合で失敗した時にコーチから掛けられた「今日からがお前のスタートだ!!」という言葉を大切にしているそうです。私たちの感情はその体験をしたその瞬間がピークで、時間とともにその感情は薄れてしまいます。実際、右代選手は、失敗した悔しさのある「今日からがお前のスタートだ!」という言葉に奮起して、その後必死でがんばり失敗を挽回したそうです。
苦手なことにも挑戦する。十種競技をする右代選手にも、やはり苦手な種目もあるそうです。「だれにだって苦手なものはある。みんなにだってあるでしょ?」右代選手のそんな問い掛けに、ある子が答えました。「ピーマン」思わず笑いがこぼれましたが、自分の苦手なものを知っているということだけでもすばらしいことです。苦手なものから逃げない、右代選手が熱く語って下さいました。
夢のような2時間でした。子供たちの心に、ステキなステキな種がまかれたと思います。今日の右代選手との出会いが、子供たちのこれからの支えになったり、夢に向かうための原動力になったりするはずです。このような機会を与えて下さったこと、お忙しい中、スケジュールを調整して東京からこの浅羽においで下さった右代選手には感謝しかありません。陸上選手としてはもちろん、人として非常に魅力的な右代選手でした。
4年生だけでなく、もっと多くの学年の子供たちも参加できるようにすればよかったと少し後悔しています。
6年生の総合的な学習の時間に「未来に向かって」(キャリア教育)で、ゲストティーチャーのお話を聞く機会を設けています。今日は、昨年度も来ていただいた高橋モータースの高橋俊明さんのお話を聞きました。その中で、高橋さんのこれまでの生き方や考え方を直接伺うことができました。
高橋さんは、お父さんの立ち上げた高橋モータースの長男として生まれ、幼い時から後継者を期待されていたそうです。同時に、小学生の時に先生になりたいという夢も抱き、自動車関係の勉強をしながら教師になる勉強もしたそうです。そして、両親と相談し、まず教師として働き、夢の一つを実現しました。それでも、これまで支えてくれた両親や地域の人たちの役にも立ちたいと、高橋モータースを継ぐ決意をしたお話を聞きました。
後半は、オリンピック聖火ランナーのお話でした。なぜ、選ばれたのか、その理由を教えてくれました。高橋さんは、40歳の時「しずおか市町対抗駅伝競走大会」に袋井市チームの選手として出場しました。次の年も連続出場を果たしたのですが、その後8年間ライバルにその座を奪われ、補欠にとどまるという、とても悔しい思いをし続けました。それでもあきらめずに努力や挑戦を続け、50歳のときにそのライバルに勝ち、再びその舞台に立ちました。そのあきらめない姿勢が報道で取り上げられ、周囲の人たちの後押しもあり、聖火ランナーに選ばれたということでした。「トーチの9割は、くやしさでできている。」「残りの1割は、地域の人への感謝です。」という言葉がすべてを表していました。
実際に使用したトーチを手にした子供たちは、実際の重みだけでなく、高橋さんの何事にも真摯に向き合いあきらめない姿勢、地域の人たちへの感謝の気持ちを感じたことでしょう。