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観音山冒険日記5 2月13日(火)
2024年2月13日 08時00分2日目のゆうべの集いが終わり、夕食です。夕食の前後には、食事係の子供たちがテーブルを一つ一つ丁寧に拭いてくれました。冒険ラリーで一日歩いた後の夕食の味は、いつもとはひと味違ったかもしれません。楽しく食事をした後の片付けも協力し合って行いました。
夜のイベントは、キャンドルの集いです。昨年は、感染症対策で浅羽北小とは別々の会場で行いましたが、今年はプレイホールに集まって一緒に行いました。キャンドルの集いの前にレク係の子供たちが、集いを成功させようと円陣を組んでいました。
第一部では、観音山の火の神と火の巫女が登場し、メインキャンドルに火をともしてくれました。
第二部は、レクリエーションです。前半は浅羽北小の子供たちが、後半は浅羽東小の子供たちが進行役を務め、ジェンカ、マイムマイムなどのフォークダンス、ジャンケン列車や猛獣狩りなどのゲームを行いました。
「楽しむ時は、思い切り楽しむ」レク係の子供たちが、スイッチを入れてくれました。フォークダンスなんてやれるのだろうか、初対面の子と話をしたり、手をつないだりできるのだろうか、見ていた先生たちは少し心配もしていました。恥ずかしさに負けてしまったらとても楽しむことはできませんが、リーダーの子供たちの明るさと前向きさのおかげで、先生たちの心配はご無用でした。5年生の子供たちの文化を見せてもらった気がしました。どの子も本当に楽しそうでした。「みんなで楽しく過ごそうよ!」子供たちのそんな思いがあふれたすてきなキャンドルの集いでした。
第三部は、一人一人がキャンドルに火をともして楽しかったキャンドルの集いのことだけでなく、観音山に送り出してくれた家族のこと、活動を支えてくれた友達や先生のことなどを考える時間をもちました。「キャンドルのろうそくは、今自分自身の身をけずって、みなさんを明るくともすために燃え続けています。あなたは、だれかを、一生懸命明るく照らそうとしていますか。」最後は、進行役の子供から投げかけられた言葉をそれぞれがかみしめながら厳かな雰囲気の中、一人一人がキャンドルの火を静かに吹き消し、キャンドルの集いが終わりました。
観音山、2日目も充実した活動になりました。(最終日につづく)
観音山冒険日記4 2月9日(金)
2024年2月9日 17時30分観音山2日目、6時30分に館内放送が入りました。起床です。ほとんどの子は目を覚ましていたようですが、眠そうな子どもたちもいました。身支度をととのえ、朝の集いに向かいました。夜中に少し雨が強まった時間もあったため、屋外ではなく、室内のプレイホールで集いを行いました。進行役は、主に東小の子供たちが務めました。そして、観音山名物「キノコ体操」を教えてもらい、体を動かすことで眠っていた体を目覚めさせました。恥ずかしいという気持ちからか、当初は照れ笑いを浮かべてやっていた子供たちも周りの雰囲気で気持ちがほぐれ、最後はみんな笑顔で体操をしました。キノコ体操も思い出の一つになるはずです。
朝食を済ませ、食堂で冒険ラリー中に食べるお弁当とお茶を受け取りました。
いよいよ冒険ラリーに出発です。プレイホールで所員さんからトラブルが発生した時の対応や気を付けるべきことについての指示がありました。そして、各ポイントで待っている先生たちを確認しました。
出発は班ごと、回るポイントも、コースも班ごとに異なります。出発した後は、班長を中心にして自分たちだけでチェックポイントを探して回らなくてはなりません。
今回も先生たちが先にポイントに向かいました。ナイトウォークラリーと違うのは、ほとんどの先生が車に乗せてもらって各ポイントに移動した点です。それは、それだけ子供たちが広い範囲、長距離を歩くということを意味しています。所員さんは、「山頂登山の倍以上歩くと思うよ」と言っていました。今年の子供たちはかなりのロングコースで計画を立てていたようです。担任の先生たちがいるポイントはそれぞれ西と北の最も離れた場所だったのですが、どうしても担任の先生に会いたいと思ってコースを決めたとのことです。
出発前に班ごとに記念撮影をして自然の家を出発しました。
先生たちは、それぞれのポイントで子供たちが来るのをじっと待っていました。私がいたポイントには、午前中、人っ子一人表れませんでした。遠くから子供たちの付けている鈴の音や話し声が聞こえてきた時には、すごくうれしかったです。かなり遠くから「校長せんせーっ!」と呼んでくれた班がありました。子供の叫ぶ声に、感動すら覚えました。
お昼を過ぎると、本部では、担当の先生たちが大きな地図を広げて、どの班が今どのあたりを歩いているのかの情報収集を開始しました。各ポイントの先生たちが、ポイントを通過した班の番号と通過時刻を無線で連絡します。制限時間に戻ってこられるのか、本部では所員さんがどうするべきかのアドバイスをくださいました。必要な場合には、近道を使うよう無線で指示を出しました。
自然の家に戻ってくることができない班があると、所員さんたちは、救助に向かわなくてはなりません。しかし、今回は、すべてのグループが自力で全員無事に戻ってくることができました。所員さんも子供たちのがんばりをほめていました。
帰所した時刻は、グループごとに違っていました。くたくたに疲れ、部屋に戻って横になって休んでいる子もいましたが、ゆうべの集いで集合した時の子供たちの表情にはたくましさが感じられました。司会や感想発表などの役割を担った子供たちも堂々としていました。冒険ラリーの最中、疲れた友達の荷物を背負って歩いてくれた人もいたそうです。冒険ラリーの名前の通り、どの子も大冒険を経験したのだと思います。疲れはあったと思いますが、どの子も「楽しかった!!!」と話してくれました。(つづく)
参観会、懇談会への御参加をありがとうございました!(4~6年生) 2月9日(木)
2024年2月9日 16時13分<授業参観の様子>
<懇談会の様子>
今日は、高学年の子供たちにとっては今年度最後の授業参観会でした。インフルエンザ、新型コロナなどの感染症が流行していますが、流行は断続的に続くと判断し、予定通り実施させていただきました。
多くの保護者の皆様に御来校いただきました。ありがとうございました。学校でのお子さんの様子はいかがでしたでしょうか。本校の全体的な雰囲気、様子はいかがでしたでしょうか。お気づきの点がございましたら、学級担任を通してお知らせください。
学級、学年懇談会にも御参加くださった保護者の皆様、重ねてありがとうございました。懇談会をとおして、学年やクラスの子供たちのよさや課題、学校が目指している方向や取組について、御理解いただけていたら幸いです。学校と御家庭とで、目指す姿を共有したいと常々考えております。本校教育に関する御意見等がありましたら、遠慮なく担任をとおして学校までお伝えください。
観音山冒険日記3 2月8日(木)
2024年2月8日 15時40分山頂登山を終え、ゆうべの集いを室内で行いました。雨のため掲揚はしていませんでしたが、国旗、県旗、観音山の旗、校旗の降納を行いました。
食堂に向かい、待ちに待った夕食です。係の児童の「いただきます」のあいさつでおいしくいただきました。山歩きでかなりお腹が空いていたようです。「おみそ汁だけは『おかわり』ができますよ!」と言われたのですが、おかずもおかわりができると勘違いしてすぐに列を作る子たちもいるほどでした。学校では今でも給食は全員黒板の方を向いて食べていますが、観音山では向かい合ってテーブルごと楽しく話をしながら食事をしました。みんなでワイワイ話しながら食事をするっていいなあと思いました。
夜の活動は、ナイトウォークラリーです。先生たちが先に山に入り、担当のポイントで子供たちが来るのを待っていてくれました。真っ暗な山の中で一人ぼっちで待っていた先生たちは、きっと心細かったと思います。
少しだけ雨が降っていましたが、子供たちは興奮気味に宿泊施設から出てきました。指示を待たずに出発しようとしていたグループもいて、先生から指導を受けました。安全に活動するための大切な指導となりました。やがて、時間差をつけて班ごとに出発し、暗い山の中へと消えていきました。懐中電灯の明かりと班の仲間だけが頼りです。それでもすべての班が無事に決められたすべてのチェックポイントを回って戻ってくることができました。先生たちは、すべての子供たちが無事に戻ることができると確認できるまではポイントを離れることはできません。子供たちが通った後もかなりの時間、山の中で一人、本部からの指示を待っていました。
一日目のすべての活動を終え、入浴時間を迎えました。クラスごと、わずか10分間の入浴時間です。大きなお風呂にみんなで入る経験が初めてという子もいたと思います。お風呂場からは、「寒い、寒い」という子供たちの叫び声が響いた後は、楽しげな声が外まで聞こえてきました。「忘れ物は、絶対やめてよー。パンツの忘れ物は特に気を付けてよ-。」冗談交じりに警告していましたが、子供たちが去った男子の脱衣所には、下着やタオル等の忘れ物がありました。
各部屋に戻った後は、マットレス、布団を敷いて寝床づくりです。子供たちが協力し合う姿も見られました。代表の子供たちは、班長・室長会議を行い、各部屋に戻って部屋会議を行い、一日の反省をしました。すべてにおいて子供たちが5分前行動を意識していることが伝わってきました。また、上履きをしっかりそろえる5年生の子供たちの習慣や考え方(文化)が少しだけ見えたような気がしました。
宿泊学習一日目、10時の消灯後、廊下から各部屋の様子をうかがいました。物音一つ聞こえてくることもなく「寝たかな!?」と思って安心して職員も翌日の活動のための打ち合わせに向かいました。が、後から聞いてみると「2時間しか寝なかった」「恋バナで盛り上がった」という話も聞かれ、部屋の中では初めての学校の仲間との宿泊を楽しんだ様子がうかがえました。(つづく)
タブレットを使ったかけ算九九の練習にはまっています!(2年生) 2月8(木)
2024年2月8日 15時11分今日はそれほど風のない穏やかな日となりました。昼休みにはたくさんの子供たちが運動場に飛び出して元気いっぱい駆け回っていました。楽しそう、幸せそうな子供たちの姿がたくさん見られました。
さて、2年生では今タブレットを用いたかけ算九九の練習が大流行しています。問題をクリアするとコインが獲得できるというゲーム的な要素が子供たちを引きつけているようです。
かけ算九九と言えば、わが子がカードをめくりながら必死で練習していたことを思い出します。カードでの練習を終えた2年生は、タブレットを使って九九の練習をしていました。
驚いたのは、10の段、11の段、12の段までやっていたことです。「12の段?何だそりゃ?先生、そんなの知らないぞ。」私がそう言っている間に、子どもは12✕11、12✕12と進んでいました。ほんの数秒で12の段を終えてしまう子供たちにびっくりしました。
タブレットを使った学習は、多様です。上がり下がりだけでなく、無作為に様々な問題を出題してもらうこともできれば、□✕□=54のように穴埋め式の問題もあります。しかも、即座に正解不正解かが判定されます。休み時間や昼休みにも、練習している子が何人もいました。
できるかできないかではなく、やるかやらないか、の世界だと思います。やっている子はどんどん覚えてどんどん早く正確に答えられるようになっていく、やらない子は全然伸びてはいかず、差がついてしまいます。その差に気が付いた時にやる気がなくなってしまわないだろうかと少し心配にもなります。
ねえねぇ、12✕12っていくつ?「144」タブレットを持っていなくてもすぐに答えが返ってきました。
一人一台端末が整備されてから数年が経ちました。AIドリルも導入され、活用も進んできています。今後、子供たちがどんなふうに成長していくのか、楽しみです。
放課後子ども教室閉講式がありました! 2月7日(水)
2024年2月7日 17時13分本校では、地域のボランティアスタッフの皆様の運営で、放課後子ども教室を開講しています。今日は、一年間の最後の活動日で閉講式が行われました。
モップリレーから始まり、七夕飾りづくりやマジックショーなど様々な活動をスタッフの皆様が子供たちに提供してくださいました。
閉講式の中で、感想発表の場面がありました。司会を務めてくださった市の社会教育課の方が、「子供たちに感想を発表してもらいたいと思います。感想を言ってくれる人はいますか。」と子供たちに声を掛けました。スッと手を挙げたのは1年生の男の子でした。名前を言って、「一番楽しかったのはマジックショーです。」と発表してくれました。続けて手を挙げてくれたのも1年生でした。「僕が一番楽しかったのは、大縄跳びです。理由はみんなでがんばってたくさん跳べたからです。」と今度は理由も発表してくれました。発表できたのは二人だけというのは、少し残念でしたが、勇気を出して発表してくれた1年生の姿にスタッフの皆さんも喜んでくださっていました。
最後の活動は、しっぽ取り。チームに分かれて楽しく活動しました。
地域の皆様、子供たちのために楽しい活動を準備してくださり本当にありがとうございました。様々な人と関わって、様々な体験をしたことは子供たちの成長の大きな糧になったと思います。地域の皆様が、本校の子供たちを大切にしてくださっていることをたいへんうれしく思っています。子供たちが、地域を愛し、地域の人を大切にする人に成長してくれることを願っています。
観音山冒険日記2 2月6日(火)
2024年2月6日 17時46分山頂登山の先発は浅羽北小だったので、本校の子供たちは出発前にクラスごとに記念撮影をしました。そして、観音山の職員の皆さんに見送っていただきながら、山頂登山を開始しました。
山頂登山は、丸太のはしごを登るところからスタートです。そして山道、登山道へと入っていきます。心配していた雨も降っているのか気づかない程度でまったく問題ありませんでした。天候は大丈夫でしたが、凸凹した山道を歩くことは慣れていない子供たちにはかなり大変そうでした。大きく足を上げなければならない段差も多く、露出した岩や木の根っこに一歩一歩の足の置き場を考えてしまう子もいました。木や枝を持って体重を支えなくてはならない場所も多く、歩いているだけで体が鍛えられている気がするほどでした。最初は自然物の珍しさにはしゃいだり、歌を歌ったりしていた子供たちの口数も次第に少なくなっていきました。
蛇紋岩が見つけられるポイントで、元気を取り戻し、「これ、蛇紋岩かなぁ?」と言いながら石拾いをする子もたくさんいました。
昼食をとる予定だった星の広場で少し休憩し、再び歩き出しました。空もだいぶ暗くなり、木々で覆われている山道は一層暗く感じましたが、木々が雨を遮ってくれていたので濡れずに助かりました。
観音山の山頂そのものは見晴らしのよい場所ではありません。それでも、山頂を示す看板が子供たちに達成感を味わわせてくれました。班ごとに記念撮影をして、まもなく山頂を出発しました。
下山ルートは、急な下り坂からスタートします。ロープをつかんでいないと滑り落ちそうな急な斜面がしばらく続き、子供たちがワーワーキャーキャー叫ぶ声が山中に響いていました。ロープが緩んでいる場所では、体重をかけたりロープを引っ張ったりすると大きく左右に揺れてしまいます。足下には落ち葉が積もっているため滑りやすく、時々、滑って転んでしまう子やしりもちをついてしまう子もいました。それでもみんな笑顔で楽しく山を下りました。
途中には、やまびこポイントがありました。「ヤッホー」ではなく、「ヤッホッ」でないとやまびこが聞こえないよと事前に所員さんから教えていただいていました。大きく息を吸って、「ヤッホッ」みんなで叫ぶと見事にやまびこが返ってきます。やまびこが聞こえると子供たちはみんな笑顔になっていました。屈託のない子供らしい笑顔、どの子もキラキラ輝いて見えました。「こんな笑顔、学校では見せてくれないなぁ!」子供たちの清々しい笑顔に先生たちも驚いていました。
途中、エコパやアクトタワー見えるポイントもありましたが、あいにくの曇り空で何も見えませんでしたが、子供たちの心の中は晴れ上がっていたのかもしれません。「疲れた!疲れた!」と口にする子もいましたが、みんなで励まし合って、全員無事に下山することができました。
観音山冒険日記1 2月5日(月)
2024年2月5日 16時30分1月31日(木)から2月2日(金)まで、5年生が2泊3日で観音山宿泊学習に行ってきました。県立観音山少年自然の家は、浜松市の北部に位置しています。第二東名で名古屋方面に向かう際、天竜川を越えた右手(北側)に風力発電用の風車が何基も連なっている山が見えますが、ちょうどその裏側の山に自然の家があります。子供たちが宿泊した施設からは、南側に都田ダム湖と風車が連なる山々が見えました。子供たちには、あの風車を見る時があったら、観音山を思い出してほしいなぁと思います。
自然の家からの南側を臨む(都田ダム湖(引佐湖)と風力発電機)
さて、出発日当日の朝は曇天、雨もわずかに落ちてきていました。我々大人は天気を心配していましたが、子供たちはワクワクドキドキの方が強かったようで、雨のことはそれほど気にしていない様子でした。時間通りに笑顔で集合し、出発式を行いました。
出発式は、実行委員の子供たちが協力し合ってスムーズに進行し、代表児童が「観音山で成長し合おう」という学年のめあてをみんなと確認してくれました。校長先生からは「5年生のみなさんの文化を見られるのを楽しみにしています。」というお話がありました。
「自分も相手も大切にする子~東小の文化をつくる~」本校の今年の目標です。東小の文化にしようと取り組んでいる「相手を大切にした聞き方」「相手に届くあいさつ」「いじめ・いじわるのない学校」については、観音山でも子供たちがきっと姿として見せてくれるでしょう。それ以外にも、2泊3日で一緒に生活する中で、5年生の子供たちの文化が見られるはずです。「文化とは『そこで生活する人の間で定着していく習慣や考え方』です。修学旅行で、校長先生は6年生の子供たちのすばらしい文化を見せてもらいました。観音山では、5年生のみなさんの文化を見せてもらいたい、感じさせてもらいたいと思っています。」とお話しされました。
見送りの教頭先生たちに「行ってきます」のあいさつをして、バスは出発しました。バスは、観音山の入口までしか入ることができません。いきなりの山登りからのスタートです。
バスを降りてからは、それぞれ自分の荷物を抱えて約30分間、山を登ります。最後の登り坂の名称は、「夢の坂」。がんばってがんばって山道や登り坂を歩きました。2泊3日の大きな荷物を抱えて歩くことは、小柄な子供たちにはかなり大変だったと思います。多少は愚痴をこぼしながらも一歩一歩坂を登りました。先に自然の家にたどり着いた子供たちの何人かは、自分の荷物を置いてすぐに坂を駆け下り、夢の坂で苦戦している仲間の荷物を持ってあげていました。スタートから子供たちの優しいステキな姿が見られました。
今年の宿泊学習も同じ学園の浅羽北小との合同での実施です。出会いの集いで、一堂に会して顔合わせをしました。観音山の所長さんからは、「自然のよさ、友達のよさ、自分のよさを見つけてください」というお話がありました。本校児童が代表あいさつを務めました。東小の子だけでなく北小の子も前にしてのスピーチでしたが、堂々としていました。学校紹介では、お互いに学校の特色を紹介しました。東小の代表の子供たちは最初に「あいさつが自慢で、毎朝正門のところで校長先生と目を合わせてあいさつをしています。」と話してくれました。もちろんすべての子供たちが目を合わせてあいさつができるレベルにはいっていませんが、子供たちの口から自分たちの学校を紹介するときに自慢として「あいさつ」があがったことはとってもうれしいことです。文化はやがて誇りや自慢になると信じています。浅羽東小の子供たちがみんな、「東小の自慢はあいさつだ!」と言える日が来るといいなぁと思いました。
出会いの集いでは、校歌を歌いました。全国的にも非常に珍しいのですが、浅羽東小の校歌は、浅羽北小と浅羽南小と同じ校歌です。観音山では、本校児童の指揮で東小、北小の児童が同じ校歌をいっしょに歌うことができました。
会の進行などの係は、東小と北小で分担して務めます。会の終わりに、出会いの集いを進めてくれた代表の子供たちにみんなで感謝の拍手を送りました。
出会いのつどいの後は、いよいよ山頂登山です。予定では、観音山の中腹「星の広場」で昼食をとる予定でしたが、雨の心配もあったため、昼食を済ませてから登山を開始することにしました。おうちの人に用意していただいたお弁当をプレイホールでみんなで楽しく食べて、出発前の腹ごしらえが完了しました。
(つづく)
おかえり・・・5年生! 2月5日(月)
2024年2月5日 14時45分新しい週の始まりでしたが、あいにくの天候になってしまいました。午後からは厳しい冷え込みと荒天の予報が出ています。下校時はすでに強風が吹き始めている状況でした。
さて、今朝5年生の教室の黒板には、6年生からの「おかえりのメッセージ」が書いてあったそうです。そんな話を耳にして、慌てて教室に向かいましたが、両クラスの黒板を写真におさめることはできませんでした。(ごめんなさい)
今朝、教室に入って黒板を目にした時の5年生の気持ちを想像します。あったかい気持ちになったことでしょう。優しい6年生に感謝!です。優しさは伝染します。だれかに優しくしてもらった人は、きっと優しくなれます。5年生は、6年生からもらった優しさをまた別のだれかに届けてくれると思います。
私自身も優しい気持ちになれる週の始まりになりました。
明日は節分です 2月2日(金)
2024年2月2日 11時14分5年生の観音山宿泊学習も2日間を無事終え、元気に活動しています。夜のキャンドルのつどいは、これまで感染症対策で実現しなかった浅羽北小学校の5年生と合同で行いました。大変盛り上がったようです。
昨日から一転、今日は曇り空で気温が上がらず、肌寒い日になりました。そのような中、運動場からとても元気で楽しそうな声が聞こえてきました。6年1組のイベント係の人たちが企画したお楽しみ会で、節分にちなんだ「ももたろう鬼ごっこ」やドッジボールを笑顔いっぱいで行っていました。
卒業式までの登校日数が残り30日になります。浅羽東小学校で過ごしてきた仲間と一緒に活動する時間も貴重に感じられるかもしれません。思い出してみると、私自身も小学校が大好きで、一緒に遊んだ記憶は今も強く残っています。ずっとこの時間が続いてほしいと思っていました。残り少なくなっていく浅羽東小学校で過ごす時間、一緒に活動する仲間を大切にしていることが伝わってきました。
新しい仲間が増えました! 2月1日(木)
2024年2月1日 14時10分5年生の観音山宿泊学習は、1日目の活動(山頂登山・ナイトワークラリー)を無事終えることができました。心配された雨も明け方にはやみ、2日目は冒険ラリーです。全員元気に活動していることをうれしく思います。
本日から、6年生に新しい仲間が増えました。フィリピンから編入したお友達です。日本に初めて来たので戸惑いと緊張の中でしたが、日本語で自己紹介をしてくれました。「よろしくお願いします。」の声に、迎える6年2組の子供たちにも和やかな雰囲気が漂っていました。
早速、水筒を置く場所やランドセルの荷物を机に入れること、防災頭巾の掛け方などを、周囲の子たちが手ぶり身振りと英語を活用しながら丁寧に説明してくれました。見守るお母さんもうれしそうでした。昼休みには、校内を案内している6年生の姿を見かけました。さすが6年生で、英語で説明しながらみんな笑顔で過ごしている姿を頼もしく感じました。今年度10名以上の転入や編入がありますが、そのうち8名は外国籍です。浅羽東小学校の外国籍児童も1割を超え、国際色豊かになっています。
大谷グローブは、現在各学級に回しています。手に取ってはめてみたり記念撮影をしたりして楽しんでいます。「思っていたより軽かった」「意外と大きかった」などの感想を教えてくれましたが、直接触れることで感じることも多いと思います。3年生の子供たちは、撮った写真を手慣れた様子で加工し、1枚のシートにまとめていました。大人が戸惑いながらする作業もあっという間に処理してしまう子供たちの対応力に頭が下がります。
観音山宿泊学習に出発しました(5年生) 1月31日(水)
2024年1月31日 08時55分雨がぽつりぽつりと落ちる中、5年生が昇降口前のわんぱく広場に集合・整列し、観音山宿泊学習の出発式を行いました。残念ながら体調不良等で欠席する子もいますが、整列した子供たちの表情は晴れやかでした。
出発式では校長先生から、この学習を通して「自分も相手も大切にする」「東小の文化をつくる」ことについてのお話がありました。非日常生活の中で、いつもとは違うことが次々と起こると思います。その中で、自分の気持ちを伝えることや相手を思いやる経験をたくさん積み重ねてほしいと思います。また、浅羽東小の5年生として、あいさつやきく姿勢、相手を意識した生活などの文化を発揮し、より強める機会になるとよいと思います。
めあての発表では、「見つけよう 友達のよさ 自然のよさ 自分のよさ」について代表者が話をしてくれました。浅羽北小学校の子たちの交流の機会もあります。浅羽学園の子供たちとして交流を広めたり深めたりする絶好の機会になると思います。
先生のお話では、観音山で何か自分の成長を感じられるものを見つけようという話がありました。子供たちだけで活動するナイトウォークラリーや冒険ラリーもあります。3日間の体験を通してこれまでと違う何かをつかみ、最高学年に向けてたくましさを身に付け、全員笑顔で帰校することを楽しみしています。
情報を生かすわたしたち(5年生 社会科) 1月30日(火)
2024年1月30日 15時16分5年生の社会科では、「情報を生かすわたしたち」という単元を学習しています。
情報化社会の進展はめざましく、私たちの生活は日々変化しているように思います。私などは、時代の変化についていくことも困難になりつつあるように感じています。
今日は、5年生の2クラスが同じ内容を勉強していました。今の子供たちにとってインターネットは非常に身近で、子供たちがインターネットを使ってやっていることを聞いていると、子供たちは私よりもインターネットを活用し、多くの情報に触れながら生きているのかもしれないと思えてきました。
今日の授業では、インターネットの光の部分だけでなく影の部分についても話し合いました。その上で、情報との関わり方やインターネットを使う時のルールやマナーを考えました。子供たちなりに、適切ではない使い方をした時には、ある程度の危険や怖さがあることは分かっている様子でしたが、ノートに「ルールやマナーに気を付ける」と書いていても、「どんなルールやマナーに気を付けるの?」と尋ねると具体的な答えが出てこない子もいました。個人情報の流出には気を付けなくてはならないということは分かっていますが、具体的にどんなふうに流失してしまうのかまではまだ想像できないようです。
御家庭で、お子さんがインターネットを使ってどんなことをやっているか把握されていますか?本校では重大なネットトラブルは起こっていませんが、県内の中学校や小学校で起こっている事例を聞くと、危機感を覚えます。ネットトラブルやネットいじめ、個人情報の流出など、実際にどうやって問題を収束させるのだろうと悩んでしまう事案も起こっています。中学校では問題も深刻化してしまうことがあるため、「情報モラル教育は小学校からしっかりやらないと中学校に入ってからでは遅すぎる」という声もあがるほどです。
御家庭でもお子さんとぜひ話題にしていただきたいです。
5年生は、明日から2泊3日で観音山へ出掛けます。メディアから完全に切り離された大自然の中で、友達のよさ、自然のよさ、自分のよさを発見してきてくれると思います。
今日は、4時間で下校しました。観音山でたくさんの感動を味わってきてください。
被爆体験伝承の講話を聴きました!(6年生 平和学習) 1月29日(月)
2024年1月29日 09時07分先週金曜日(26日)、6年生は、広島市から被爆体験伝承者の中原様をお迎えして、平和学習を行いました。
袋井市では、平成27年度から「広島平和記念式典中学生派遣」を行っています。今年度も16人の中学生が広島を訪れました。
市内の全小学校では、被爆体験伝承者をお招きして講演をしていただいています。子供たちが、我が国で起こった戦争の現実を知り、平和について考え、平和な世界の創り手に育っていけることを願っています。
中原さんは、地元の新聞社に勤められた後、地元の大学の教員として働き、退職後に伝承者としての活動を始められたそうです。ご両親が被爆され、義理のお兄さんは被爆により亡くなられたそうです。中原さんは、被爆当時中学2年生だった山本さん(現在91歳)の体験を伝承されています。戦争末期の日本の状況、子供たちの置かれた状況、原爆投下時、投下後の悲惨な状況をお話ししてくださいました。
第二次世界大戦下の1941年、日本はそれまでの尋常小学校、高等小学校を国民学校と改称しました。子供たちも「国のために身も心もつくす」ことを定める法律が制定されたのです。
広島市には、平和大通りという幅100mにも及ぶ大きな道路があるのですが、もともとその大通りは戦時中に作られた防火帯だったという話をうかがいました。防火帯とは、空襲の被害を最低限にとどめるために事前に家や建物を取り壊しておいて延焼を食い止める直線状の空き地のことです。広島市では、その防火帯を作るための家屋の解体作業に子供たちがかり出されたそうです。平和大通りという名称の裏に、そんな歴史があったとは知りませんでした。
原爆投下当日、その防火帯を作るために、山本さんの一つ下の学年、中学1年生321人が爆心地のすぐ近くの場所に集められていました。子供たちは、上空にB29が飛来するのを見ていました。「敵機だっ!」と叫んだ子もいたそうです。やがて3機のB29のうちの1機からドラム缶のような物が落とされました。投下された物は、子供たちが見上げる目の前の空で爆発しました。原子力爆弾でした。先生たちも含めるとそこにいた354人もの人が命を落としたそうです。犠牲者のお名前が刻まれた慰霊碑の写真も見せていただきました。山本さんたち中学2年生は、軍事教練で爆心地からは離れた場所に集められていたため、生き延びることができました。学年一つの違いで、運命はまったく違っていました。
50分間の講演でした。講演前、中原さんは「原爆資料館ではいつも大人相手に話をしているから、小学生の子供たちに話すことにはあまり慣れていないんです。」とおっしゃっていました。それでも、元小学校教員だった同じ伝承者仲間に相談しながら、今回の講演の準備をしてくださったそうです。「この言葉で、この言い方で子供たちに伝わるだろうか・・・」たくさん悩まれたようです。ご講演を聴きながら、私自身いろいろなことを考えさせられました。被爆体験伝承者としての中原さんの熱い思いは、子供たちにもしっかりと伝わっていたと思います。
講演後、子供たちと話をしている中で、こんな話をする子がいました。「先生、日本は大丈夫だよね。日本は戦争しないもんね。」私には、「日本は大丈夫だよ。」と言うことはできませんでした。今、ウクライナやガザで戦争が起こっていますが、戦争をしたくて戦争をしているわけではありません。近隣諸国でも戦争を心配している国もあります。日本も例外ではないと考えている政治家もたくさんいて、ここ1,2年で我が国の防衛費増額の方針が決まりました。
過去を知ることで現在と未来のあり方を考える。子供たちだけでなく、私たち大人も知らなくてはならないことがたくさんありそうです。
3年生、短縄記録会。元気いっぱいがんばりました! 1月26日(金)
2024年1月26日 16時49分最後に短縄記録会を実施したのは3年生となりました。
非常に寒さの厳しい日になりましたが、体育館は子供たちの熱気で少し温まっているように感じました。
保護者の皆様も数名来校してくださっていました。とってもうれしそうな子供の笑顔がありました。
3年生は、代表の子供たちのリードで準備体操からスタート。代表の子供たちの大きな掛け声が立派でした。さらに最前列で大きな声を出してくれる子が数人いて、雰囲気がとても前向きに感じられました。
共通種目は、前跳びです。たくさん跳ぼうとかなりのスピードで縄を回している子もいました。一生懸命な姿がとってもステキでした。
今年度の短縄記録会も終わってしまいました。少しさみしい気持ちがしています。